2008年05月17日

年金特別便を通して父を見る

(mixiより転載)

父の年金特別便が来たのでそっと覗いてみた。

自分のことを全くしゃべらず、恰好の良いことしか言わない人やったから、父の仕事のことなんて、社名と、会社の事業内容と、父が会社でどんな役職に付いていたかくらいしか知らなかった。

世間一般にいう有名大学を出て、定年まで勤めた会社は、たぶん一般にはほとんど知られていないとは思うけど、不況のあおりもあまり食わない、堅実で良質な本を出している出版社で、ずっと編集の仕事をしていて、最後は役員もしてはった。

散々俺とか、ずっと家のことをしてくれたじいさんばあさんのことをバカバカ言って、何だ大物ぶってふん反り返りやがってと、ものすごい反発を感じたし、今もその不信の余韻で、妙に社会的な適応ができない感のある気がしている俺だが、父の年金加入記録を見てびっくりした。

まあ、たいがい不器用な方の人だと思ってはいたが、会社をいっぱい変わっている。

ちょうど俺が物心付いた頃は、たぶん、早くに亡くなった母の病気がわかった直後ですごい大変だった時期だと思うが、その時にも、7年続いた前の会社を辞めたばかりだった。

まあ・・何というか、人に歴史ありだとは思うが、それぞれに抱えたしんどさを共有することもできず、ただただ互いに不信を募らせている。

こういうのも悲しいなと思った。
posted by よっしー at 14:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

「僕のあとに道が続く」

僕がもがき苦しんだあとに道ができる
同じところへ迷い込んだ誰かがその道を通る

いかに苦しい状況であろうとも
僕は幸せになれるし
幸せにならなければならない

僕の道を見いだして
幾千幾万ものまだ見ぬ誰かが勇気づけられる

その人たちに応えるためにも
僕は幸せにならなければならない


(ここにあるはずの「幸せ」が見えない苦しさ)
posted by よっしー at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

KY(空気読めない)でも許される状況

(mixiより転載)

昨日、人間関係における防御とは? というテーマで以下のようなことをぶつぶつ考えた。

**********

防御によって避けたいことは何か。それは「不意に」傷つくことを言われたり、されたりすること。

パニックに陥ってしまえば、もうどのような手も打てなくなってしまうからである。

というわけで、「不意に」を避ける。これが目的。

では、その方策は?

あらゆる最悪の結果を予測すること。

一番言われたり、されたりして嫌なこと、キツイことを一つ一つ想像する。

そして、それらを避けるには、あるいはできるだけダメージを小さくするにはどうしたら良いかを考える。

相手を観察し、自己防衛という観点から、話す言葉の一つ一つ、対応の一つ一つを検討し、選択してゆく。

つまり、予測して、想定するわけで、こちらがどう防ぐかという事後対応に加えて、防ぎやすいようにどう布石を打つかという事前対応をも一つの「型」として体に染み込ませることが重要なのぢゃ。

(なぜか「ぢゃ」)

********

さて、

「何に傷付くか」いうのは、人それぞれやろうけど、さらに考えてみてショックやったことがある。

俺があかんのは、「とにかく違〜う」「理由なんてどうでもええんじゃ〜」「とにかくお前は間違えとる」「わし(ら)の言うこと聞け〜」みたいな雰囲気を感じ取ることであって、ただそれだけでボロボロになります。

職人修業なんかしたら死ぬタチです。

空気読めとか、たとえ俺に向けられた言葉でなくとも、肺腑をえぐられるような気がします。

理由のわからん「気分」で、一挙手一投足捕まえてオヤジにバカバカ言われて萎縮しまくっていたことがありますから、もはや「空気」というものに対して信頼感なんて持っていません。

ですが、「空気を遵守せよ」の雰囲気からは、結局どこへ行っても逃れられないわけで、結局俺の行くところはどこにもなく、俺の苦境はそもそも防御以前の問題なのです。

集団内では黙って縮こまっとくしかないんか。嫌やな・・。

昨晩、明石家さんまの番組を見ていたら、おバカと言われても平気なスザンヌはタフやな〜と思い、見ていて、我が身の情けなさに涙が出そうになった。

まあ・・ふて寝しよ、と思って寝たのであったが、深夜、また、珍しくはっきりした夢を見た。

あ、そうか・・空気を読まなくても許される場面があるじゃないか!!

それは、

「危険な状況」や「非常事態」であって、そういった状況において、空気なんて全く気にせず、率先して大声で、近くにいる人に指示を出したり助けを求めたりして、困った状況に対応している自分がいた。

無事対処が済んだ後、ワーッと拍手を受けたところで夢が終わった。

まあ、逆に言えば、

平和なときには居場所がないのが俺なのやろうけど、何かすごく救われたような気がした。

夢の俺は40歳になっていた。

もしかしたらこれは願望充足夢に過ぎないかもしれないけど、夢はしばしば新しい方針を示してくれたり、有益なアドバイスをくれる。

賭けてみるか・・
posted by よっしー at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・心理・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

知識を「形」にする能力が欲しい

英検の勉強を再開しよう。
体調を崩したため、ここ2週間ほとんど手を付けられなかった。

去年とったTOEIC830点というのも、不本意ではあるし、英語力という点で見ればまだ頼りない感じはあるが、30歳過ぎてまで何もせず、ボーっとしていたわけではないということはアピールできる点数だとは思う。

が、なぜ、英検にこだわるのか。

英検には、一次試験に、配点にして1/4を占める比較的長い作文があるからである。

去年からいろいろ試してはいるが、俺はまだ作文ができない。しゃべるのもほとんどできない。読む方だけは、日本語に直さずどんどん頭から理解できる感じだが、書いたり話したりといったアウトプットが極端に苦手なのである。

しかし、このアウトプットが苦手というのは、英語に関していえば、学校教育ではほとんど鍛えられていない部分であり、相当意識的に取り組む必要のある部分だと最近知った。

英語にせよ、法律にせよ、ついこの前まで趣味でやっていたプログラミングにせよ、究極的に問われるのは、知っている膨大な知識を、「形」にする能力である。

この「形」にすること、つまりアウトプットが苦手という課題を克服できたとき、自分の知っていることを実際に役に立てて、それでお金をとることができるようになる気がする。つまり、知識を仕事に繋げることができる見通しが立つように思う。

俺にとっては、アウトプットの重要性については、英語に限った問題ではないのだ。

書く書く書く・・・

がんばろう。
posted by よっしー at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

手を広げ過ぎたかな

なんだかわけのわからないことで取り乱したりカッとなったりした一週間であったが、たぶん知らずにいろんなことをし過ぎたのだな。

身体の強い人もいれば弱い人もいる。同様に心も、強い人がいて、弱い人がいるのだ。俺は新しい状況に極端に弱いようだ。

自分を見失っていた。

我が身の管理不足で他の人に迷惑かけてたらあかんわ。

まあほんま反省ですわ。

本当に必要なことなら、大好きな語学なんかと同様に少しづつ慣らしていけばいい。

何かを成し遂げるのに必要なことがあれば、細かくばらして、少しづつ、体の筋肉を付けるのと同じように体に負荷をかけていく。

こういうプラニングなら得意なのだ。

自分を一番知っているのは自分だ。何故自分を客観視できなくなるかと言えば、それは自分を知らずにいじめ過ぎてパニックになっているから、という面もあると思う。

・・まあ、当面はお休みということで。

肝臓もお休み。
posted by よっしー at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

「離れたところから」

今日発した言葉の一つ一つは
したことの一つ一つは
ふと何かを見詰めたその「見る」という行為、
踏みしめた足どりの一つ一つは

空から見て

離れたところから僕を見、またあなたを見ている何者かから見て
僕の知らない道行く人たちすべてをも見守る何者かから見て

一体どのようであったろうか

我が身の心地良さばかり追い求めて
怒りに我を忘れたり
ずっと大好きなあの人に笑いかけたり
あの人から笑いかけられたり
「好きだよ」と言ったり
「私も大好き」って言われて有頂天になったり

「良い」と言い「悪い」と言うが
そもそも「良い」とは誰にとっての「良い」なのか
「悪い」とは誰にとっての「悪い」なのか

一人称の視点でもがき続けるこの愚かさよ、苦しさよ
この惨めさよ、みっともなさよ
狂ったように二者の融合を志向し続けるこの自堕落よ

心の底から反省しています


(とにかくすべての人に謝りたいくらいの気分です)
posted by よっしー at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

大事なのはこちらの頭の中

ついさっき、予習を完璧にしている夢を見た。

高校の教室に座っている。

俺は、学生時代ほとんど予習をしたことがないのだが、夢では、復習はともかく、予習は完璧にしている。

遠い学生生活を振り返ってみると、教科書や参考書、辞典を見れば書いてあること以外にはほぼ触れることもなく、触れる暇もない授業を聞くことが勉強になるのだろうか? と、思わないでもない。

例えば壇上の教師が40分間話し続けたとしても、話せる内容は、文庫本にして10ページもないと思う。内容にもよるが黙読なら10分もかからない分量である。

不思議と大学の授業が詰まらないと思ったことはほとんどないが、高校までの、テキストの内容をゆっくりなぞる感じの授業が俺は嫌いで嫌いで仕方がなかった。

振り返って思うと、聞いて教えられることよりもはるかに大事なのは、辞書や教科書を手元に置きつつ自分でウンウン頭を使って課題を解くこと、知識を動員して何かに取り組むという思考回路というか運動感覚みたいなものを付けることではないだろうか?

その点、教えられた内容だからとかは関係無しに、語学ならシコシコ辞書を引いて自分なりの解釈を明確にしておく、そしてその際生じた誤解やミスを、講義を聞いて微修正してゆくのが、お勉強の王道ではないかと今では思う。

つまり、大事なのは、間違えているにせよ、何にせよ、こちら側の、自分の頭の中がどうなっているかであって、教師の教え方が上手か否かではない。

教師はただ、英語なら英語、数学なら数学に関する圧倒的な知識や経験があればよい。で、こちら側の「仮の」答えをぶつけると、それをすみやかに微調整してくれる。

このようなやり取り以外に講義という形式の意義はないのではないか、と、ぶつぶつ考えた32のGWであった。
posted by よっしー at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | その他教養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする