(後で読み返すと、自分でも突っ込みたいことがいっぱいありますが)
某心理士になるために入るのが必要な、指定大学院について考えている。
試験・・
いったい何のためにあるんだろう?
試験を通して入った集団において、きちんと仕事ができるか適性を測るためなのか?
うそだ。
競争のためだよ。例えば定員30人なのに、そこに行きたいという者が100人いる。そのうち70人を門前払いするためにあるのだ。
例えば、(1)適性があるとされた者を50人入れて、後でやはり向いていないものを辞めさせるとか、(2)逆に適性のある者が5人しかいなかったから5人しか入れないとか、そういったやり方があっても良いと思うが、必ずしもそのようにはなっていない。
で、志願者が多かろうが少なかろうが、約30人の定員に合格者を絞るというのは、より大きく社会的に見ると、間違っているとは言い切れない。
それが例えば医者や弁護士といった仕事なら、ニーズに見合わない人数だけ増やしても、現在の運送業のような過当競争を招いて社会が大混乱するだろう。
価格競争で採算が取れなくなかった業者が、生き残りを図って、その業界の信頼を裏切るような飛んでもない不正を行って利益を追求し、大きな災厄をもたらすことも有り得る。
そのような事態を未然に防ぎ、社会への仕事供給の調整弁となる役割も、試験にはあるだろう。
また、もっと単純に、学校だと、受け入れる側の体制が整わないからといった事情もある。
その場合、優れた環境で勉強するために、志願者は他の志願者と競争するが、このときの志願者の立場は社会への仕事の供給者ではなく(教育というサービスに対する)需要者なわけだ。
そして、志願者に競争させて学生を採る側は、教育の供給者である。してみれば、至るところに学歴競争に似た不毛な競争が起こるのは、教育の供給不足によるのだ!
んなアホな・・俺は、違うやろ、と言いたい気分だが、なんでこう思うかはよくわからない。
だが、学歴競争には、「ブランド」すなわち見栄や世間体の良さを求めての競争といった側面がかなりあるように思うのだ。そのために、学校の本質が見失なわれたり、本当に入らなければならない人が入れないといった事態が起こるのはバカバカしいことだと思う。
・・と思うのは、心理学自体が混乱している学問だから、指定大学院であればどこでも良いというわけには行かないからだ。ほんまに教わりたい、学問的には異端であり、実際取り扱いに注意を要する、主観性や関係性に関わることをきちんとしているところに行きたい。
が、そうなると行くところがかなり限られるし競争も激しそうだ。心理学ブームなんて終わってしまえばいいのに。
ブームであろうがなかろうが、必要なものは必要だし、要らんもんは要らんのだ。
ともあれ、適性試験であると割り切れるなら、目標もはっきりするので、むちゃくちゃ燃えることができるのですが。統計処理が必要なら、それを必要な限りでめっちゃ頑張るし、他の実験系の学者さんとうまくやっていかなあかんから一応知っといてくれいうことがあるなら、やはりその目的に必要な限りでがんばります。いろんな関係者と連携を取ることが大事ですからということなら、企業への就職活動のように、電話の掛け方や服装、話し方といったマナー的なことにも本気で取り組みます。
競争・・となると全く燃えないです。大事なのは競争でなく、人よりできようができまいが、全体としてうまく機能することだと思います。
2008年07月28日
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