2008年10月24日

冷や水

巨人の選手がバントに失敗した。

それを見て、父は憎々しげに、

「バカがっ!」

と言った。端でこういう言葉を聞かされる身になって欲しいものだ。

あ〜、やっと普通にしゃべれると思ってほっとしていたところにこれだ。

悪気がないらしいのはわかっている。だが、こういった粗暴な言葉や行動で、どれだけ周りの者の元気が無くなっていくか。

いや、むしろ、こうやって周りの元気を無くして自分の優位を確立させるのが父の動機ではないかと思えることはしばしばある。

こちらの物事がうまく回りだしたときに、過たず冷や水を浴びせてくる。

ピンポイントでこちらがもっとも不快で惨めになるような言葉をかけてくる。これが、俺に対してだけではないのだから、もう父の身に染み付いたものとしか思えない。

俺様はえらいのですか?

周りの人間はみんなバカに見えますか?

やはり、かねてから思っていた通り、この人とうまくやって行くのは、無理かな・・

(「無理かな」と書いてみると、もう少し何とかできそうな気がしてくるので不思議だ)
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2008年10月15日

灰色に沈んだ海

(mixiより転載)

俺は、うなされて叫んで跳び起きるとか、起きた後に泣くようなはっきりした夢をほとんど見ません。あまりにそうした夢を見ないので、ギャーと叫んで目を覚ますようなはっきりした夢は小学生の頃のものでも覚えているくらいです。

今回は、いろいろ心を動かされることがあったので、何かはっきりした夢を見るかなと思ったけど、やはりぼんやりとした夢でした。

引越しの作業を淡々としている夢。隣の部屋だけはそのままで、なぜかピアノが置いてあり、音楽や楽器にはそれほど興味がないはずの父らしき人物が、やはり淡々と、子どもが目的もなくおもちゃで遊んでいるように、いろんな音を出すことに勤しんでいる。

外は、今日と同じ雨でした。

雨の日って静かですよね。関空と日根野を結ぶ連絡橋から臨む海が、静かに、灰色に沈んでいました。このような色の海には、あまり良い思い出がありません。

今、語りかければ喜んで心の篭った返事をくれる友人がいて、問い掛ければ思いがけない答えを返してくれる本や先生がいて、俺を取り巻く主観的な世界は、わくわくするような彩りに満ちています。

しかし、今よりはるかに連絡する友達がいて、学校にも所属していて、彼女もいて、家族も多かったある一時期の俺は、今日橋の上から見えた海と同じくらい、灰色に沈んでいたのでした。

果たして今の俺の幸せは自分の手で掴んだものなのか。

掴んだのだ、と思っていましたが、全く違っているように思えて来ました。運命が布置した、ちっぽけな将棋の1コマにしか過ぎない自分。

たまらなく頼りない気分です
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2008年10月12日

感情って不思議だ

絶対に言わず、押さえておこうと思ったことを言葉にしてみる。

すると、魔法が弱まる。

適応という観点から見れば、その方が良いのだろうか。わからない。ほんとうに、わからない。

リアリティとアクチュアリティの狭間を行ったり来たり。
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2008年10月08日

流した涙は雨となり

(mixiより転載)

「投影」いうのをご存知でしょうか?

昔、深層心理学のテキストで数行の説明を読んだだけなので、それほど詳しくはないのですが、確か、フロイトが言ったことだったと思います。

自分の中にある自分が認めていない感情を相手の中に見る、すなわち、自分の影を相手に投げかけるわけです。

俺がものすごく多いのだと、相手が俺のことをバカにしているとか、軽蔑しているとか、値踏みして切り捨てようとしているとか、そういった負の感情が非常に多いです。

しかし、今書いていてドキっとしましたが、相手を憎んだり軽蔑したりしているのは、本当は俺の方で、相手は一つもそんなことを思っていないとしたら、・・なかなか恐ろしくなりますよ。

相手に、自分の影を投げかけている。

本当に自分は、相手のことを理解しているのだろうか? 誤解しているのではないだろうか? すれ違っているのではないだろうか?

しかし、人間関係の恐ろしいところは、そういったその場で起こっている感情が、まさにそのときには決して冷静に把握できないということです。

冷静に把握できてしまったときには既に、心は生き生きと働いていない・・

さて、ここまでが前置き。

今、俺が書いたのは、負の感情についてです。正の感情が投げかけられることもあります。そして、その投げかけを相手もこちらに対してしていることがあって、それが恐ろしく噛み合ってしまっていることがあります。

・・すなわち、恋愛です。

この夢から、果たして自分は目を覚ましてしまった方が良いのだろうか? ところが、今、俺が心苦しく思うのは、その夢から覚めてしまったときには既に、そこには心が働いていないということなのです。

もう少しの間、この夢の中で、身を焦がしていたいと思います。そして、それが、明日に向かう原動力となるように。

・・きっと、なります。

「流した涙は雨となり、僕の心の傷、癒す」

まさに、今、そういう体験をしているところです。あの人に投げかけた優しい気持ちが、言葉が、共感が、こちらの心の傷を洗い流してくれるような体験です。

実現を期するだけが、恋愛ではないと思います。
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2008年05月17日

年金特別便を通して父を見る

(mixiより転載)

父の年金特別便が来たのでそっと覗いてみた。

自分のことを全くしゃべらず、恰好の良いことしか言わない人やったから、父の仕事のことなんて、社名と、会社の事業内容と、父が会社でどんな役職に付いていたかくらいしか知らなかった。

世間一般にいう有名大学を出て、定年まで勤めた会社は、たぶん一般にはほとんど知られていないとは思うけど、不況のあおりもあまり食わない、堅実で良質な本を出している出版社で、ずっと編集の仕事をしていて、最後は役員もしてはった。

散々俺とか、ずっと家のことをしてくれたじいさんばあさんのことをバカバカ言って、何だ大物ぶってふん反り返りやがってと、ものすごい反発を感じたし、今もその不信の余韻で、妙に社会的な適応ができない感のある気がしている俺だが、父の年金加入記録を見てびっくりした。

まあ、たいがい不器用な方の人だと思ってはいたが、会社をいっぱい変わっている。

ちょうど俺が物心付いた頃は、たぶん、早くに亡くなった母の病気がわかった直後ですごい大変だった時期だと思うが、その時にも、7年続いた前の会社を辞めたばかりだった。

まあ・・何というか、人に歴史ありだとは思うが、それぞれに抱えたしんどさを共有することもできず、ただただ互いに不信を募らせている。

こういうのも悲しいなと思った。
posted by よっしー at 14:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

手を広げ過ぎたかな

なんだかわけのわからないことで取り乱したりカッとなったりした一週間であったが、たぶん知らずにいろんなことをし過ぎたのだな。

身体の強い人もいれば弱い人もいる。同様に心も、強い人がいて、弱い人がいるのだ。俺は新しい状況に極端に弱いようだ。

自分を見失っていた。

我が身の管理不足で他の人に迷惑かけてたらあかんわ。

まあほんま反省ですわ。

本当に必要なことなら、大好きな語学なんかと同様に少しづつ慣らしていけばいい。

何かを成し遂げるのに必要なことがあれば、細かくばらして、少しづつ、体の筋肉を付けるのと同じように体に負荷をかけていく。

こういうプラニングなら得意なのだ。

自分を一番知っているのは自分だ。何故自分を客観視できなくなるかと言えば、それは自分を知らずにいじめ過ぎてパニックになっているから、という面もあると思う。

・・まあ、当面はお休みということで。

肝臓もお休み。
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2008年04月18日

腰を守る筋トレ

もう5、6年腰痛に悩まされている。過ぎし日の冬のこと、ゴルフの打ちっ放しにバカみたいに熱中したときに、あっという間にいわしてしもうた。

とりわけ椅子に長時間座ると痛みが激しくなり、毎日夕刊配達後に行く公民館の自習室での約3時間が精一杯。それ以上座ると寝返りを打つのも辛いほど痛みが増す。

腹筋・背筋を鍛えると良いと聞いたことがあるが、そもそも寝ころんだ状態から腹の力だけで体を起こすあのお馴染みの運動からして腰に堪えるので困っていた。

そこで、ですよ、奥さん!(どこの回し者?)

少し前、とあるところで目にした背筋を鍛える運動を始めたところ、腰の痛みが無くなりました!

その運動とはどのようなものかというと、

1、腕立てふせの格好をする
2、通常は両手の手の平で支える体を、「片手のヒジ」だけで支える
3、ヒジだけで体を支えたその状態で、好きな時間だけじっとしている

わずか10秒ほどで、支えた手と逆の横っ腹と背中の筋肉がプルプルしてきます。腰を曲げたり伸ばしたりしなくてもピンポイントで腹と腰の筋肉を鍛えることができるわけです。

あまりやり過ぎると笑うのもきつくなるくらい筋肉痛になるので、まずは10秒づつから、後々は1分くらいまでのばすのが目標です。

はじめて2日目で腰痛が消えました!(泣)
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2008年04月17日

絡まれたとき - 女性の場合

昨日、マクドで絡まれたことについて。

俺はほんま怖かったんやけど、知人の女性の方に聞いたら、そんなん、二ヶ月にいっぺんはある、もし同じことがあったら、無視するかすぐ店員さんに言う、ということやった。

そっか、若い女の人いうのはこういう恐ろしい目にしょっちゅう遭うんや思ったら、ほんま気の毒になった。

危険は確実に避けねばならん。してみれば、俺が昨日したような感情的な対応いうのは、身近な女性を守るという観点からすれば危険極まりないものかも知れないなと、すごく考えさせられた。

コンビニでは怖くて目も合わせられへんらしい。

重ね重ね、気の毒なことこの上ない。

蛇のようにさとく、とは聖書の言葉やったか。

もう少し身の安全について思いを致すことが必要やな・・。
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2008年04月15日

マクドで絡まれる

正直怖かった・・

後ろに座ったたぶん高校生の男女入り乱れたヤンキー集団が、めちゃくちゃ大声でしゃべる上に、「援交してるやろ?」「してへん」「ウソやしてるやろ」とかとんでもないことを赤の他人がたくさんいる店内でしゃべっている。

ちきしょーうっせーなー、これはまたここしばらく見たこともないくらい強烈なのが来たなーとか思いつつ、携帯ゲームの「いただきストリート」がちょうどいいところだったので熱中していると、だいぶ経ってから急に、ヤンキーの一人が

「ここ座っていいすか?」

と言って俺の正面の席にデンと座った。

俺の風貌がよっぽど坊ちゃんぽく見えたのか知らないが、とにかく、急にこういう極端なことをするのは俺をナメてるからだ、と一瞬で感じ、怒りが0.5秒で沸点に達してしまった。

「ええわけないやろ! 向こう行け!」

と怒鳴ったら、他のメンバーから、

「拒否られてやんの」

とか言われながら、平然として仲間の方へ戻っていく。俺は、こういう、一見何も言い返さないであろう相手を見つけて、仲間の数とか腕力をたのんで人をからかう輩が大嫌いだ。中学生のときに一度暴力沙汰に近い喧嘩になったことがあるのも、同じような事情だった。

もっともからかわれたのは当の俺だったが、かなり大変なことになってしまい、怪我をさせた相手の自宅に父と謝りに行ったことがある。

即答で拒否はしてしまったものの、急にイチビリの対象にされたという腹立ちやら、その一方でなんかようわからん恐怖やらで胸がバクバク鳴ったが、俺のモットーは、注意をする者として、その相手を排除しないということである。

何か言うことを聞くのは、その相手が怖いからというのもあろうが、基本的には、自分を敵視している人間が言うことは聞きたくないというのが人の心の自然である。

同じようなことを、俺以外の人にはして欲しくないなと思いつつ、必死で勇気を振り絞って、

「椅子足らんのやったらあげるわ」

と言って正面の椅子を引き寄せて渡すと、「あ、どうも」とか、また平然と言って、椅子を受け取って仲間の所へ戻って行った。

あと2時間くらいいるつもりだったが、不愉快だったので、ゲームの残りをクリアしてからそそくさと帰った。

彼らは、まるで俺なんて初めからいなかったかのように、ずっと違う話をしたり、店内をうろうろしたりしていた。
posted by よっしー at 22:23| Comment(6) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

僕は浦島太郎

(mixiより転載です)

最近、「いじめ」をテーマにした夢をよく見ます。また、それに関する出来事にもよく遭遇します。

亀と言えば、古くは日本書紀や風土記の記事にさかのぼり、類話も多い「浦島太郎」というおとぎ話がありますが、浦島の不幸(?)はそもそも、子ども達にいじめられていたウミガメを助けたことに始まりました。

その後日、浦島が浜に出ると、波間から助けた亀が顔を出して、こちらに向かってペコペコお辞儀をしています。

「浜に上がるとまたいじめられるぞ、早よういね!」

というと、しばらくは海中に姿を消して見えなくなる亀ですが、ふと見るとまた、こちらに向かってペコペコとお辞儀をしています。

それを見て、また「帰れ」と言う浦島。こんなことを三度繰り返した後、亀は、自分は実は竜宮の姫であって、助けてくれたお礼を是非したいという。

そんなわけで、浦島は竜宮を訪れるわけですが、彼が亀を助けたという善因が、必ずも善果をもたらしたわけではないということは、皆皆さまよくご存じの通りです。

類話によっていろんな結末が待っていますが、あるときは帰ってみると何百年も経っていて、両親はおろか、知っている人が誰もいなくなっています。絶望した浦島は、開けてはならんと言われた玉手箱を開けてヨボヨボのじじいになって話が終わります。

もらったものが玉手箱ではなく、何でも願いの叶う小箱である場合もありますが、やはり誰も知り合いのいなくなった故郷の村で、その箱のおかげで働きもせず遊び暮らしていたら、村人から気味悪がられて誰からも相手にされなくなり、居たたまれなくなってどこかに行ってしまうという話もあります。

道中、小箱が壊れる描写も出てきますので、幸せにならなかったのは間違いありません。

・・さて、

長い前置きで申し訳なかったのですが、実は今日、俺も、配達の仕事中、「亀」を助けました。

小柄な男の子(亀)が、年長の男の子2人と女の子1人に、まるで犬のツナのようにして腰のあたりを固くヒモで縛られ、もがいて泣きそうになっています。おまけにズボンまでずらされたりして、散々な様子でした。

「コラコラそんな気の毒なことは止めんかい」

と言って、とりあえずは固く縛っていたヒモを解かせるところまでは見届けました。

俺に待っている運命は如何?

(´Д`;)
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2008年01月20日

本は読まない方がいい

休み明けの火曜日あたりから調子を崩し、やっとましになってきた。喉と胸が痛くて、咳をすると苦しい。バイトの新聞配達が終わるとしんどくてフラフラになる。

とにかくしんどいので、家にいる間はずっと寝ていたが、いつもの如くあまり誰ともしゃべらず、座って姿勢を保つのがしんどいので、本もテレビも見られずの生活だったが、ひたすら無為の5日間はなかなか有意義だった。

まず、英検の勉強や趣味の読書で相当頭が疲れていたことがわかった。ふと思い立って携帯ゲームをすると、最高得点をどんどん更新できるので笑けた。

普段だと、いろんな見たり聞いたり読んだりしたことの印象等で頭がボンヤリしているためかもしれない。

大学生のとき、叔父から「本は読まない方がいい」と言われたことがあるが、パッと見読書家の叔父が言うくらいだから、似たような体験をしていたのかもしれない。それか、また別の理由もあるのか。

昨日、英検の受験票は届いたが、試験日直前の大事な時期に急ブレーキがかかった気分だ。まあ・・どうがんばっても今回は無理そうだけど。

ともかく、本は読むなとか、外に出ろとか、いろいろそういう布置ができているように思えるが、大学辞めてから正社員経験一切なしでここまで来ている自分としては、英検1級だけは今年中に取りたいなぁとは思っている。

自分自身と脳内会議をする必要がありそうだ。

もう少しだけがんばってくれまへんか? と。

・・もし、自分が妥協するとしたら何だろう。
posted by よっしー at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

新年会

総勢7人でアジアンバーでしゃぶしゃぶ。
すごい楽しかった!

ふと気づいたが、こういう機会がないと、平気で半月以上、挨拶以外誰ともしゃべらないこともあるほど。

話し掛けると嫌そうな顔をするので、同居中の父とはほとんどしゃべらない。男所帯などはこんなものかもしれないし、とり立てて退屈もしないのであまり気にはしていないが、俺個人の問題としては、ちょっと困ることもありそうやなと思った。言葉がすぐ出てこない(笑)

あと、いろんな経緯があって、なんか半年ぶりくらいに車の運転をした。うっかり方位磁針を忘れてしまったので、迷いに迷った。

Tさんご夫妻のお腹のお子さまの話にはなんかジンと来た。自分たちが生まれ、育った後には、親となって、生み、育てるサイクルが来るのだ。例えば自分の生活に、子どもをはぐくむ種類の環境は、ふところはあるだろうかというとなかなか辛いところだ。

店の人に撮ってもらった写真を見ると、一番楽しそうに写っているのは俺だった。和光デンキ・・。

昨日の話の続きで言うと、なんだかだ言って内向きが過ぎる、もっと外に出なあきまへん、という布置ができているように思う。

偶然のように起こる様々な出来事が、意味のある連関を成して何かを訴えているように思えることもある。

出ろ、と運命が言う。

そして、出るとええことあるで、とも運命は言っている。

擬人的に言うとこんな感じやろうか。

運命は大阪人。
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2007年12月31日

失敗・・

インクジェット紙にしたのに、写真と「謹賀新年」のカラフルな文字がキレイに印刷できなかった。ヘッドクリーニングしとくべきでした。

まあ、何事も経験ということで。

改まった挨拶に、手書きの一言。そして、元気そうに見える写真を貼っておいた。今から出しに行こう。

3日までに届くやろうか?

みなさま良いお年を!
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2007年12月28日

背中が痛い

最近、自然と胸を張って歩いているためだと思う。おそらく筋肉痛。

気持ちの持ちようで、周りのいろんなものが動き出してくる。

ただ、「変化」というものは、一般に、それが良いものであれ、悪いものであれ、何らかの痛みを産み出す。

いつまでもそれが続くということはあり得ない。

しかし、このような我慢・・と言うと少し違うかもしれないが、今と同じような、身体にせよ、心にせよ、どこかが痛むのを恐れないようにしたい。

人それぞれ、与えられた器というものがある。そして、俺自身の器の方は、ふと頭に浮かぶあの人とかこの人とか、いろんな人に比べると、あまり、大きい方ではないと思う。

だが、大事なのは、器の大小ではないと思う。

大事なのは、それを生かせるか、否か、なのだ。

自分が生かされて、確実に機能している姿を産み出す種類の「自己規定」を、見い出せるか、否かなのだ。
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2007年12月17日

ココロのすき間

忘年会のシーズン。

ゆうべも酒を呑ませていただいたけど、意識して飲みたい量の半分に抑えた。

が、酔いが回るのを少し待つだけで、いつもと変わらず楽しい気分になれるし、翌日である今は体が楽だしで良いことずくめです。いつものごとく、ご飯もおいしくいただけ、楽しく時間が過ごせました。ほんま感謝感謝です
(・◇・)/

しかし、気がゆるむとなんか愚痴が多くなります。

また、毎度家に帰ってから、酒が抜けかけたちょうどそのときに襲い掛かってくる、あの虚しさとも、後悔とも、惨めさともつかない凄まじい感じは何なのだろう?

何を考えたかもよく覚えているが、前回に比べてカウントダウンしてるし。あと2回でどうだこうだとグダグダ・・・昔、死ぬだのどうだのよく言ってましたわ。

怖いので死ねまへん、と腹を決めて、ウツがピタリと収まったのはもう5年以上前だったか。

しらふでいるときは、別に、とりたてて不満も不安も感じていないように思うのに。

新聞配っているうちに「発作」は収まったようだ。

ココロのすき間ですね。

セールスマンには気をつけねば。
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2007年09月18日

41029

yoioniku.jpg良いお肉だったそうです(泣)
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2007年08月27日

寝屋川まつりロック禁止令

070825_1920~01.JPG070825_2001~01.JPG
いや、ロックでしたよ。思ったよりもどえらい規模のお祭りで、1km × 500m ほどの広大な緑地公園の敷地にところ狭しと夜店が並び、大ステージでは盆踊り、小ステージではコンサート。おもしろくてすっかりはしゃいでしまいましただー。

まいけるさん、かりおんさん所属のバンドTi☆daのライブがお目当てでしたが、どえらく広い敷地内の小ステージにつくまでの屋台の誘惑に抗しきれず、ビール何本か、フランクフルト2本、フライドチキン、いろいろ食ってはしゃべり、食ってはしゃべりで、時間ぎりぎりでステージ前に着いた頃には変なテンションに。

いわゆるひとつのminutes風に、わが思考をたどってゆく。

● 8/25 19:23
 さいこーっす
 ビールうまいっす
 食いもんうます

出演直前でお忙しいはずのまいけるさんに、さっそく変なテンションでメールを送っている。

● 8/25 19:37
 あははー

同上。テンションがもっと変になってる。

● 8/25 20:34
 尿おわたーっ!

ビールでトイレが近くなっていた。Ti☆daさんの演奏が終わったあともまた、トイレへ。だだっ広い緑地公園で人に聞きつつトイレに着き、用を足したときの充足感。それを伝えたくてツツミ先生にいつものバカメールを送信してしまう。後悔。

● 8/25 20:44
 旦那さまおのお写真です。すんません、携帯の写真なんでかりおんさんうまく撮れませんでした

だが、まいけるさんの写真がすごく上手に取れたのには大満足。早速若奥様に写真をば送信。

● 8/25 20:48
 携帯で、うまく撮れていませんが、お写真です。

デジカメを持っていくのを忘れたので、奥で演奏してはったかりおんさんはうまく撮れなかった。ほんとうはかりおんさんのお写真を送りたかったが、仕方がないので全体写真をまいけるさんに送る。ややテンションは戻っている。ところが、混雑を回避すべく、早めにお暇して、寝屋川市駅前でツツミ先生としこたま呑んだ後、帰りの車内では。

● 8/26 0:36
 むなしい

覚えている限りでは、なみなみと注がれたウイスキーのロックを2杯以上は呑んだ。朦朧とした意識で、このようなメールをツツミ先生に送る。

祭りのあと、それは悲しい。まるで道端で、精も根も使い果たして横たわるセミでも見詰めているときのような気分であった。夏の終わり・・。

蛇足だが、ぼんやり携帯の発信履歴を眺めていたら、

0:21, 0:22, 0:23

の三回にわたって、相当長らく行っていない飲み屋のお姉ちゃんに電話をしている。が、まったく覚えていない。だが、これで、早朝の1時すぎにRちゃんから電話があった趣旨に納得する。

翌日。

● 8/26 11:02
 からだがしびれて うごかない

心配してメールをくれたツツミ先生に返信。早朝1度吐く。手のひらから血の気が失せ、四肢がしびれる。足をソファーに乗せて高くし、血の巡りに気遣いつつただひたすら寝る。最悪の日曜日であった。

ロックはだめです。お湯割りにしましょう。
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2007年08月20日

プチロック2007

昨日は、年来の友人堤大先生が主催するライブイベント。いちおう裏方として参加させていただき、すごく楽しかった。

7バンド出演で、みんな何らかの形で顔見知り。

曲の合間にはバンドの有志の方で漫談風(?)のおしゃべりがあったりゲームがあったり。

なので、演奏中も、いろいろと客席とステージの間で、声をかけたりかけられたりといったやりとりが普通にあり、ハラハラドキドキ。

ハプニングはライブだからもちろんあるものの、自分も中にいて参加させてもらっているという感じがしてすごく楽しかった。なんていうか、自分の「おもろいわー」とか「がんばれー」という気持ちが伝わっているような気がするのです。素晴らしかった。

うちで引きこもって本ばかり読んでいる場合じゃないかも、と思いました。

いろいろすごく思うところがあるが、気力が尽きたのでもう寝ます。でも、音楽はともかくとしても、もっと自分にはいろいろできることがあるかも、と思いましたです。

出演者のみなさん、ありがとう。そして、お疲れさまでした。
m(_ _)m

蛇足ですが、打ち上げのとき、隣にいたよせなべの兄貴にいじめられました。きみはMだろうって何度も言われ、不本意でした。

末代まで呪ってやろうと思いました。

祝・・
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2007年07月20日

河合隼雄さんが亡くなった

享年79歳。日本初のユング派精神分析家で、臨床心理学者。去年夏、文化庁長官だった頃に脳梗塞で倒れられ、つい先日受けた京都大学のK先生の講義で話題になったときは、

「静養中・・ということになるでしょうか」

云々と聞いていたので、まさかという思いだ。

俺は今31歳。直接先生に教えを請う機会はついぞ一度もなかったが(そもそも京大生じゃないし)、河合隼雄先生の書いたものをはじめて目にしたのは、1995年阪神大震災が起こった前後だったか直後だったかに雑誌に連載されていた、村上春樹氏との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』だった。

当時某外国語大学(結局辞めたけど)で2回生だった俺は、そろそろ対人関係の不都合が限界に近く高まりかけているころで、たぶん傍目にはそれほど困っているようには見えなかったと思うが、学校やバイト他、人のたくさんいるところだとどっと疲れ、家にいるときは何もする気がおきず、だからといって「人嫌いですので」と大手を振って主張し我が道を貫けるほどの度胸も甲斐性もなく(いまだにないけど)、その一方で寂しいという気持ちももてあましてもいるような、ともかくいろんなものがごちゃごちゃしはじめてわけがわからなくなっている頃だった。

下宿に帰ると逃げるように毛布をかぶって寝るか、天井を何時間も見つめながら涙を流しているような状態だった。

そんな中でも不思議と河合隼雄先生の本だけは読めた。いまだに先生の何にこれほど惹かれたのかはよくわからないが、文章の一字一句が身に染みるというか、心当たりがあるというか、励まされるというか。本屋で先生の本を見掛けたら片っ端から買って読んでいたものだ。

あれから十年以上たった今の読書でさえ、先生の影響を受けている。

作家の吉本ばなな氏との対談で、先生が何度でも読み返したい本として、井筒俊彦氏の『意識と本質』という、西洋と東洋の哲学を同じ地平で論じた本を挙げられていたが、先生がそんなにベタ誉めするならと読んでみたらこれが面白くて見事にはまった。

で、しばらく岩波文庫の青帯の本を片っ端から読んでいる時期が続き、5年ほど前だったか、はじめてユングの本を読んでみたら、これまた見事にはまり、今では、放送大学の学生として、京都大学で河合隼雄先生のお弟子さんにあたる先生方の講義を、タレントのおっかけでもしているような感覚で実際聞きに行くのをすごく楽しみにしているのが現状。

思想や哲学は、臨床上の実践で磨かれ検証されたものでなければというのが今の実感で、一番大変な実践がカウンセリングだと思う。

死んだ魚の切り身のような、分類・記述・他説の紹介が主なものが多い日本人の書いた本にはしょっちゅうはらわたが煮えくり返る思いを抱くが、自分の言葉で、自分の経験で、きちんと相手を見て、あるいは読者を見て話す人がいるということ、それでいて、それらの言葉が無責任な思いつきや、言った本人にしか当てはまらない信用できないものではないこと、こういうことを話せる人が、同じ日本人の年長者にいるということ、こういったことを知ることができたのは、俺にとってはかなり大きかったと思う。

長官という官僚のトップになったときでさえ、先生は変わっていなかった。高松塚古墳の壁画の問題で、担当者を処分するとき、担当者を処分したからといって問題が解決するわけではないがけじめとして・・と自分の言葉で語られていたのが深く印象に残っている。

不祥事があるたび企業トップが、大してそう思ってもいないだろうに「ご迷惑をかけてほんとうにすみませんでした」と言って頭を下げる光景にうんざりしている人は多いと思うが、大人のああいう姿を日々目にすることは本当に気が滅入る。がんばろうという気がなくなる。

一方、堀江氏や昨日実刑判決を受けた村上氏は自分の言葉で語る人だったと思うが、自分の言葉で自分の思っていることを言うと叩かれるのが日本の世の中のようだ。うわべで建前に合わせているうちに、叩かれるような本音を正されることもなく、大人になって、責任のある立場について、いざ事件が起こるまでそれらが持ち越される。叩かれることを恐れて結局、心の入っていない、くだらない、誰かがどこかで言ったことを寄せ集めたようなことしか聞くことができなくなる。

息苦しくて仕方がないが、こういった息苦しさを忘れさせてくれるのが、河合隼雄先生のひとことひとことだった。そして、京都大学にはきちんとその伝統は受け継がれているようだ。


・・最後に、締めが私事で済まないけど。

でも、だからといって、俺がカウンセラーの仕事に就きたいかというとそれとこれとは全く話が別。全然違う方面の勉強を初めようとしていた矢先に、今朝の新聞の一面で先生死去のニュースを知り、何か頭の中がごちゃごちゃしている。
posted by よっしー at 08:38| Comment(0) | TrackBack(7) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

理由

# 多少長いので、mixiより再掲。二度目に見る方すみません。

ここしばらく、シャレにならないほど体調が悪かった。とにかく体が重く、喉に違和感があり、動くのがしんどい。バイトの新聞配達中もしんどくて、自販機を見つけてはコーヒーを買って飲み、イヤホン越しに中島みゆきを聴きつつ黄昏れていたわけです。

そのようにしていた先週のある日、あるときのこと。ふと視線を感じて顔を上げると、母親に連れられた小さい女の子がじーっとこちらを見ている。不思議そうにじーっと。

俺が顔を上げてもたじろぐことなく、じーっとこちらを見ているのです。なんだかおかしくなって、吹き出しそうになりつつバイバイしてあげたら、満面の笑みを浮かべて、名残惜しそうに先に行った母親を追いかけて向こうに行きました。

そしてまた、中島みゆきの「別れうた」を聴きつつ黄昏れていると、今度は小学生くらいの男の子がまた、俺の顔をじーっとのぞき込んでいるのに気づきました。

「子どもっておもろいなー」と思いつつ、またバイバイしてあげたら、やっぱりうれしそうにして、向こうに行きました。

不思議に思うのです。

特にしんどいとき、妙に道行く人に話しかけられたり、子どもが心配そうにこちらを見ていたり。何故なのでしょう? 元気なときはほとんど全くこういうことはないのですが。

犬がふらふらとこちらに寄ってきたりすることもあります。

「なんでやろなー?」

と、昨日たまたま遊びにきていたマンタに聞いたら、一言、

「くさかったんちゃう?」

と、予想もしていなかった答えが返ってきて、お茶を噴き出しそうになった。おもしろかったのでやたらウケていたら、マンタいわく、おもろいことをいうコツは、人の話を適当に聞くことだそうだ。なるほど。

・・そうか、

貴様、犬が寄ってきたところしか聞いてなかったのだな ( _ _)n
posted by よっしー at 18:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする